バスケ中学、

前々回くらいのブログでたしかバスケのこと書いてた気がするから きょうはすこしバスケのお話を。

 

バスケを始めたのは中学から。

小学生の6年間はずっとサッカーをやっていた。

サッカーは好きだったんだけど、新しいことに挑戦したいってのと 好きな子がバスケやってて ってのも多分あるはず。

 

中学入学時に168㌢くらいの身長で まあ大きい方ではあったし サッカーとかスポーツは好きだったから自信はあったんだけど

 

いざやってみると、何?このスポーツ、きつ過ぎって気持ちで。

漫画で見たかっこいいバスケとは程遠い かに歩き 端っこでダムダム 真上にボール投げる とかなんともっていう練習をしてた。

 

おれが入ったときはたぶんうちの中学校の歴史の中ではかなり経験者が揃っていた世代で おれは当然初心者で外とかで練習をしていた。

 

そんな先輩たちでも最後の大会は 強豪校に当たって ボロ負け。おれ的には始めたばかりでこの人たちすげぇって思ってたから なんか拍子抜けというか 気付いたら一個上の先輩たちと次の大会に向けてスタートしてた感じだった。

 

おれに転機が訪れたのは中1の秋の大会だったんだと思う。相手は県大会でも1位2位を争うような強豪で 今ではプロとかになっちゃったような人もいたチームとやったんだけど。

スコアは110-14くらい?だった気がする。笑っちまうなって思うけど、この試合でおれは途中から出てエンワンを含む5得点を挙げた。

試合後 相手の監督に 褒められて負けたのに嬉しかったってのは今でも鮮明に覚えてる。

 

それから結局、一個上の先輩たちも最後の大会は一回戦で負けちゃって 気付いたらおれらの世代

おれは副部長になった

 

そんなおれにバスケ人生でもまあ大きな出来事が起こる

膝の手術だ。手術をするほどではなかったんだけど、父親が最後の大会でもしものことがあって出れなかったらというのを真剣に考えてくれた末の結果で 未だにしてよかったかはわからないけど 父親がしっかりおれのこと見てて考えてくれてたってことがふつうに嬉しかった。

 

手術後は実際しんどかった

まず筋肉が落ちて落ちて走れない、跳べない、と。

でも、そんなとき頑張れたのは同期の部長のおかげだと思う

そいつとはもともと小学校一緒だったんだけどそこまで仲よかった訳でもなくて、なんで一緒にバスケ部に入ったのかも本当によく分からないんだけど、そいつとバスケできたってのは おれの財産の一つだと思う

とにかく真面目なやつで 人一倍練習頑張るやつだった。

そいつのおかげで おれもクソ真面目にバスケってものに取り組めたし いまでも取り組めてるんだと思う。

 

手術前くらいまで動けるようになって すぐに選抜のセレクションみたいなのがあった

まあ、全然練習もできてなくて参加したから それはそれはひどかったんだけど

なぜか地区の選抜に選ばれた、たぶんデカかったから。この時183㌢くらいには伸びていた。

これをきっかけにおれのバスケ人生は よくもわるくも変わっていった。

この地区選抜は市の選抜の前段階みたいなもので、ぜんぜん凄いものではないんだけど、おれの他はみんなミニバス経験者。

もとから仲良いっぽくて おれはバスケに自信もなかったから 一人ぼっちだった。

結局、練習も選抜の試合でも友達は出来ずになんとなく過ごして終わってしまった。

 

その後の秋の大会でおれらのチームは特に目立った活躍もなく負けた。残すのは最後の大会のみとなり、中学校で一回は勝ちたいと最後に向けて気持ちを強く持っていた。

 

そんな中、本当にありえないことが起きた。

市の選抜に選ばれた。

顧問の先生に呼び出されて、突然伝えられて、え?なに? ってかんじ。

とりあえず資料もらって、その日はオフだったから家に帰ったんだけど 家でメンバーとか色々見て まず思ったのは 無理。ってこと。

メンバーにいたのは市内のバスケ事情なんて大して知らないおれでも知ってるような名前ばかり。全員がベスト4のチームのメンバーか、各チームのエースみたいな奴ら。

 

今回は前の選抜みたいに1人は嫌だ。絶対友達作ろう。とおもって 行った初練習。

練習着とか全部無償で準備されてて、なにこれ、やば。って。

いざ、練習始まると ほかの人たちはみんなうまい ついていくのに精一杯

休憩中はみんな楽しそうにシュート練習してるのに、おれはどうしても中に入っていけなかった。

たぶんヘタってのもあったんだけど、ほかの中学でおれが入ったせいで落ちた奴らがたくさんいて そいつらと友達の奴らがほとんどだったから 勝手に嫌われてるとおもってたんだよね。

 

帰りの車で おれは なにも話せなかった

選抜期間、車ではずっと無言だった

動き方もわからない、ろくにシュートも打てない、なのにスタメンで出される

他に上手い奴らたくさんいるのに そいつらがベンチで応援してる

意味がわからなかった

自分の中学に戻ったときだけ いきいきとバスケしてる自分に対してなんともいえない軽蔑心があった

結局、その選抜でおれは多少はみんなと話せるようにはなったけど、確実に認められてはいないという感触のまま選抜期間がおわった

 

しかし、おれの訳の分からないこの流れが止まることはなかった。

県の選抜の候補30人に選ばれた。

また、顧問に呼び出されてそう伝えられた。

 

今回のメンバーはもう、むしろ知らん。でも確実に言えるのは市の選抜の対抗試合みたいなので戦ったから知っていた。めちゃくちゃ上手い奴らだって。

 

中学2年、冬

まだバスケ初めて2年もしない段階でバスケ歴8年くらいの奴らばっかの練習会に参加した。

雪が降りつもっていた日だった。

 

その日は母親と2人で行ったんだけど 自分の中でここまできたら 県の選抜目指そう、やりきる。って覚悟を決めてたから車の中でも わりとリラックスして行けたって記憶はある

 

練習会自体はほとんどゲーム形式で、おれ的にはかなり頑張ったなって思ってた。

身長生かして出来ないなりにやり切れたなって。

 

二週間後くらい経って 顧問から呼び出された

 

県の選抜は残念だったな。

 

わかっていたし、散々これまで選抜に選ばれるたびに 大袈裟じゃなく 死にたい つらい と思っていたから 普通なら安心するだろって思うかもしれない

けど、あの時たしかに 

悔しかった

惨めだった

見返したかった

そして 家に帰って 泣いた

 

ずっと夢の中にでもいたかのようで

ありえないくらい自分も上手くなって

精神面も鍛えられて

 

とつぜん夢が覚めた感じがして

あり得ないくらいの後悔をおぼえた

 

なんでもっとやりきらなかったか

なんでもっと他の人にきいたりしなかったか

なんでもっと、

って考えまくって

辿り着いたのが、最後の大会で周りを見返してやるって。

 

 

まあ、今日はこんなもんかな。

中学のバスケ人生がおれの中で1番しんどい期間だったとおもう。

あれよりきつい期間はまだ無い。

でもあれがあったから今の自分があるんだと思う。

 

未来に希望をもちつつ、今日はここまで

 

2020.6.10